text&photo by kyosuke yamauchi(Minamisanriku)
 




人口流失、宅地開拓、産業の復活、様々な課題を抱え再生に奮闘する被災地に移り住む人々が増えている。実は彼、生まれも育ちも大阪、つまり生粋の大阪人である。震災を期に南三陸町に移り住んだ若者の一人だ。前職はトラックの運転手。仕事先で地震を経験した彼は、その後職を辞し被災地へと足しげく通い始める。「テレビで見た時、言葉が出ませんでした。自分の足で惨状を目に焼き付けたかった。とにかく何でもいいから力になりたい、そう思いました。」彼と南三陸町との出会いは2011年7月。ボランティア先を探していた際、偶然空きが出て辿り着いたのがこの町だった。はじめは二泊三日のボランティア活動。その後一旦大阪に戻るが、彼は再びこの町に帰ってくる。そして再開直後の魚市場で町の人々と関わるようになる。明るく生真面目な性格は、すぐに魚市場に集まる町の強者達に気に入られ、溶け込んで行く。そんな中、働き手を探していた地元の水産業者から声をかけられ社員として働く事を選択する。「大変な生活を強いられている筈なのに、みんな明るくて素朴で、とにかく人が良い。そこに惹かれました。」それが彼が南三陸町で働く事を決意した理由だ。津波で町の8割を失ったこの町では、実は働く場所はあっても住む場所がない。現在彼は、地元の人の好意で同じように町外からやってきた10人程の人々と共に一軒家をシェアし生活の拠点にしている。「大阪にいる時は魚を食べる習慣もなかったけど、ここは新鮮な魚があって、食べる物がとにかく美味しい。でも一番はやっぱり人が好きです。それがここにいる理由です。」最後に彼は、この町で働きながら町の復興する様子を自分の目で見続けて行きたいと語ってくれた。  






①「山ちゃん」の愛称で親しまれている山本真裕さん(27)
②彼がこの町で一番好きだと語る南三陸志津川仮設魚市場。
③市場で水揚げされた様々な種類の魚を捌く一次加工が彼の仕事。ウロコや内蔵を取り除く作業も手慣れている。
④取材時は養殖銀鮭の最盛期を迎えていた。
⑤彼が捌いた魚は焼き行程を経て真空パックされ全国のスーパーマーケットに出荷されている。
南三陸観光協会HP
http://www.m-kankou.jp