text&photo by kyosuke yamauchi(Minamisanriku)
 




東日本大震災からもうすぐ三年。更地となった中心部では、土地そのものを最大8m嵩上げする大規模な工事が始まっている。重機の音、舞い上がる土埃、空高く積み上げられた土砂。一見進んでいるようにもみえる復興計画も、宅地造成や町の収入源を担う水産業の再生など道のりはまだまだ遠い。目立つのは町外へ出て行く人口流失と深刻な人手不足。今それを支えているひとつは県外からの若者と言っても過言ではない。彼女が生まれ育った場所は南三陸町から約900km離れた兵庫県宝塚市。19年前、小学1年生で経験した阪神淡路大震災。幼いながらも当時の混乱を克明に覚えていると語る。2011年3月11日、地元の児童館で児童厚生員として働いていた彼女はテレビから流れる津波の映像に衝撃を受ける。南三陸中心部、高台にある高校から写したその映像には津波から懸命に逃げ惑う人々の姿が写っていた。働いていても、その映像が頭からずっと離れなかった。「南三陸に行かなアカン」直感でそう思った、とにかくいてもたってもいられなかったのだという。やがて彼女は水産業の中心「魚市場」でボランティア活動を始める。水揚される魚、飛び交う声、生まれて初めて目にする魚市場での光景。そこで見たのは漁業に携わる人々の人間としての力強さだった。「こんな状況の中でも笑顔でいつも明るくて力強く働く方々の姿を見て、本当に心からカッコいいと思ったんです」。そして彼女は漁業が大好きになった。初めて食べた新鮮なお魚も、苦手だった生牡蠣も、生ワカメのしゃぶしゃぶも感動するほど美味しかった。今では海の幸が大好きになったという。彼女は現在、町の鮮魚店で販売員として働いている。心配していた両親も、この場所で活き活きと働く自分を見て応援してくれている。友人達からも今までで一番楽しそうだと言われる。「キレイな海とおいしい魚に囲まれた毎日が本当に幸せです」極寒の冬空の下、元気に働く姿が輝いている。  






①藤本侑美さん(26) 震災前、海水浴場として賑わっていた「サンオーレそではま」にて。
②彼女が大好きだと語る南三陸志津川漁港。彼女がボランティアとして関わった最初の場所だ。この漁港では一日のうち朝と昼の2回セリが開催される。
③南三陸に関わる前は苦手だったという牡蠣。今では大好きな海産物のひとつになっている。
④出勤時、時間がある時は必ず通るという、海を見下ろす絶景が広がる「浜ゆり大橋」。
⑤現在、彼女は地元の鮮魚店で販売員として働く。明るく元気なキャラクターでスタッフはもとより地元の人々にも親しまれている。