text&photo by kyosuke yamauchi(Minamisanriku)
 




震災から三年を経た今でも、被災地に寄り添い、黙々と手助けをする若者がいる。ワカメの作業小屋を作り、旅館の再建を手伝い、被災者の”困り事”を体ひとつで手助けする。「服部ちゃん」の愛称で親しまる彼の経歴と被災地との関わりは「ご恩を返す」事から始まる。海外で歯科技工士として働き、帰国後美容室を立ち上げ、関東で5店舗を経営していた彼は、震災直後ある事実に驚愕する。美容室を始めた頃から運営していたエクステンション専門のネットショップ、その顧客の多くが東北の人達で埋め尽くされていた。「辛い時代を支えてくれた東北のお客様の事を思うと、いてもたってもいられませんでした」。震災から間もなく、彼は経営していた美容室の経営権をスタッフに譲り渡し、救援物資を積み込み被災地へと向かった。辿り着いた東北の光景に唖然とした。混雑するボランティアセンターを横目に、自分の足で助けが必要な地域を探した。そして辿り着いたのが南三陸町林地区だった。炊き出し、救援物資、瓦礫撤去、出来る事は何でもやった。そんな見ず知らずの自分を疑う事なく受け入れてくれた南三陸の人柄が今でも忘れられないという。3年間は恩返しがしたい、その思いで飛び込んだ東北。海産物を加工する小屋を作って欲しい、狭いプレハブのお店を増築したい。そんな切実な願いを聞く度、彼は黙々と作業を続ける。建築技術も震災後に大工さんから学んだという。「僕に手助けできる事があるなら、それに応えたい。自分の都合ではまだ帰れない。理想はボランティア活動が被災地からなくなる事だと思っているから」。福島県など、南三陸以外にも、彼はとことん被災地と関わり続ける。「ただ、南三陸は一番好きな場所。人間関係がすごくいい。住んでみたくなる場所です」そう語ってくれた。  






①茨城県出身の服部浩之さん(38)。
②時々訪れるという南三陸の中心部に位置する志津川中学校。ここからの景色を見て、変わって行く町の景色を創造しているという。
③初めて南三陸を訪れた2011年4月、瓦礫の中で見つけた時計の針が津波襲来の時間で止まっていたという。
④林地区避難所の目の前を通っていたJR線の線路。2011年4月当時、この線路を生活道路として利用する人々の様子を今でも覚えているという。
⑤南三陸さんさん商店街にある店舗の改装工事も請負う。材料費はお店が負担し、体ひとつで彼が造り上げる。