text&photo by kyosuke yamauchi(Minamisanriku)
 




南三陸から1,500km離れた九州からこの町に移り住んだ若者がいる。福岡県出身の廚(くりや)さんは地元福岡で機械工学を学びエンジニアとなる。その後世界に飛び出したいという思いでアメリカへと渡る。帰国後は都内で人事コンサルタント、翻訳業にも携わる経歴を持つ。3.11の震災はその最中に起った。誰しもが予期せず経験する巨大災害。翻訳業はいつでもできる、今できる事をしよう、そう感じた彼は九州から物資を輸送し始める。2011年3月26日、初めて訪れた被災地南三陸町。中学校から見た光景に彼は愕然とする。「生まれて初めて風景を見て泣きました」。その後は様々な人脈を伝い今できることを探し続けた。NPOとの連携、企業と被災地の繋ぎ役、地元の人々との関わり。やがて様々な事が見えてくる。日本古来の風習が色濃く残る東北の文化、そしてそこに留まっているモノやコト。「東北の文化は本当に素晴らしい。僕ら外部の人間にとって、それらは驚くほどかっこ良く興味を駆り立てられるものばかりなんですよ。特に外国人にとっては衝撃的なほど美しい文化だと思います。まさに東北は日本の中の日本なんです」。我々東北人すら煩わしいとさえ思える独特の風習。平和を重んじ、律儀に生きてきた東北特有の文化、地域の中で受け継がれる密接な繋がり。それらを彼は素晴らしいと表現する。町の再生と新たな価値創出を模索する中で、見落としていた地元の良さを発見し、そこに価値を見出し、発信する術を知るのは、俯瞰して見ることができる彼等なのかもしれない。10年先、被災地の人口が激変する可能性は極めて大きい。とりわけ女性の雇用は重要な意味を持つと彼は考える。今年、南三陸の資源を使った「手造り石鹸工房」を立ち上げるという。プロジェクトはすでに動き出していて、古民家を借り、室内を工房に改造し、雇用を生み出す仕組み作りが進んでいる。ここから南三陸の新たな価値創造が生まれるかもしれない。  






①福岡県出身の廚勝義さん(36)
自ら立ち上げる南三陸産の原料に着目した「手造り石鹸工房」の前で。
②作業場となる築50年の古民家。手つかずだった内装は現在修復が完成しつつある。木造二階建ての広々とした一軒家が若者達の手によって趣ある工房へと生まれ変わる。
③同時進行で行われている「手造り石鹸」の試作品。南三陸産の海藻を練り込んだ石鹸はもちろん無添加。今後どのように進化を遂げるのか楽しみである。
④新商品の開発のため仙台市内で石鹸の作り方を仲間と一緒に学ぶ。
⑤畑付きの古民家は海からもほど近く、裏山には家ひとつない自然が広がっている。