text&photo by kyosuke yamauchi(Minamisanriku)
 




南三陸といえばモアイである。震災から2年後の2013年、イースター島の石を使い、現地の人の手で制作したモアイ像が南三陸に寄贈された。Moaiとは現地語で「未来を生きる」という意味。現在そのモアイ像をこよなく愛し、様々なグッズを手がけ南三陸を盛り上げようと奮闘する若者がいる。東京都出身の柳井さんは、大学院でヒューマンセンターデザイン(人間中心設計)を専攻。卒業後はIT関連会社で企画を担当した。その後、彼はアジア放浪の旅に出る。自国の震災を知ったのは滞在先のインドだった。帰国後、自分探しを続ける中、独学でweb制作の技術を学び始める。死に物狂いで得たスキルは、やがて自分が何者かを知る術となっていく。そして震災から1年後、偶然ラジオで知った情報が彼を被災地へと導いていく。まるで縁のなかった東北の地、生まれて初めて訪れた南三陸町。ここで彼は、復興に向かう人間の強さに共感したという。支援団体を通じて配属したのは町の観光協会。ここで彼は自らのスキルを発揮し始める。WEB制作、グラフィックデザイン、情報発信、イベントなどの肉体労働。やがて制作したサイトは被災地を代表する情報発信ツールとなっていく。そしてあのモアイ像が南三陸にやってきた。これだ!と思った。モアイを通じて、町の活性化に役立てたい。仕事の合間を縫い、夢中でグッズの企画に勤しんだ。気がつけば数十種類のモアイグッズが誕生していた。長期間のモアイ展覧会も行った。やればやるほどモアイ像への親しみが湧いてくる。関われば関わるほど、全国や全世界にモアイファンがいることを知った。「モアイのいい所は顔と謎に満ちていること。僕の顔がモアイに似ているのも親近感を覚えます(笑)」。全国にはモアイグッズがほとんど存在しない。今後はネットショップやSNSを通じモアイの魅力を全世界に届けたいと語る。彼を見ていると、その生き生きと働く姿が印象的だ。都会から来たひとりの若者が田舎で働く術はいくらでもある。生き生きと働ける環境を作ることが地元の役割だろう。  






①現在は南三陸商工会の臨時職員である柳井謙一さん (31)。南三陸モアイ像の前で。
②2013年にイースター島から寄贈されたモアイ像。目玉が入りプカオという帽子を被るのがモアイの本来の姿だ。
③震災で被害を受けた南三陸町の海水浴場の砂を固めて作った大・小2体のモアイ像。
④同じ砂を固めて作った「ミニモアイ像」。7色セットで運気上昇。
⑤大正10年創業の老舗「金太郎飴本店」が作る本格モアイ金太郎飴。夏の汐風を感じさせる爽やかなサイダーの味わい。

南三陸さんさん商店街HP
www.sansan-minamisanriku.com
南三陸モアイファミリー
www.moaifamily.com